実家にて

 実家に帰ってから、始めて震災の被害の大きさを知って驚きました。
食事をしながらも、避難所にいる友人達は、どうしているだろう、
ニュースを見ては知っている場所がもう面影もなく画面に映し出されていました。
もう泣く事も忘れてしまったのか映像を見ても、涙は,出なかった。
浴槽につかりながらも、被災地の人は,暖を取る事が出来ただろうか、
自分一人とても後ろめたい気持ちになった。
ここ、三田は,多少の被害は,あったものの普段の生活が流れている。
とても不思議だった。
翌日目を覚ましたら、か、か、からだが動かない・・
全身筋肉痛になっていました。
埋まっていた間、腕を突っ張り崩れる家に僅かながらの抵抗をしていたから
でしょうか?
義理の母は、胸を痛め、家内は,妊娠中で(次男在住5ヶ月)精神的な面で
弱っていた事も有り発疹が体に出て、三田についてすぐ医者に行きました。
家内は,特になにもなく母は、肋骨にヒビが入っていました。
長男は,ただのかすり傷だけ、こんな大きな被害の真中でまして自宅は,
壊滅的(壊滅してる)な被害の中、家族がただこれだけのケガで済んだ事、
改めて「活かされている」事に感謝しました。
落ち着いて実家を見まわすと震災の被害がここにも…
実家は,平屋、築 40年以上、土壁 です。壁のあちらこちらが落ちかけて、
鴨居も下がりちょっとこのままでは,・・。痛い体に鞭打つ様にして、
近くの材木やさんに材料を買いに行き、
1日かけて家の中と外壁のヒビにコーキングしたり、・・・気が紛れました。
「これから,どうするか」考えても分かりませんでした。
3日程経ったころ、私への電話が有りました。勤め先の上司からでした。
「どないしてんねん!連絡ぐらいよこさんか!」しかし、
連絡し様にも覚え書きなど有るはずもなく、電話の回線がヘビーな状態の中
どうしろと言うのだ。 当然反論もせず、「はいはい」と・・・
返事をしこれまでの状況を説明しました。
会社の建物は,阪神電車の線路が崩れた間近に立っており、
被害は相当あったものの(倒れ掛かった隣の家に押され)傾いただけで
済んだようでしたが、業務が出来る状態ではなく上司の自宅を拠点に
業務を再開するとの事
 取合えず、今の所、自宅待機で連絡待ちになりました。
このころ、家族の者は、・・家内は,体調が優れず
母もケガの具合もあり比較的おとなしくすごしていました。
長男は、私の母に付いて買い物に行ったり、店のほうへ行ったり、
わけもわからず、彼なりに楽しく過ごしていました。
ただ、今まで住んでいた家がつぶれてしまったことは、伝えていました。
その原因は,「怪獣が来てお家が踏まれてしまった」と言ってましたので、
母が世間話している時に自分のことを話していると分かると、
「お家怪獣が来てぺっちゃ―ん」と説明していたそうです。
彼は,有り難い事に当時の記憶がトラウマになることなく、
当時についての恐怖体験も見る限りでは,無かったようです。
これだけは、本当に助けられました。彼が,人見知りせず、
人懐っこい性格にホンとずいぶん親として助けられました。
何処に行っても,かわいがられていました。
震災から3日程過ぎたころ・・・
運転免許の事で明石の免許センターへ行く用事があり、いざ明石へ、・・ 。続く


© Rakuten Group, Inc.